shihoyamamoto

子どもを叱る時、どんな叱り方をしていますか?以下にあげる10種類の叱り方に覚えはありませんか?

①責める

例:「何度汚い足で家にあがるなって言ったの。どうして、いつもそうなの。お母さんの言うこと全然聞かないんだから。」

②馬鹿にする

例:「なんて行儀が悪いの。本当に汚いんだから。」「部屋が汚いじゃないか。本当に犬やネコと同じね。」「また忘れたの?馬鹿ねー。」

③脅し

例:「もう一度やってごらん。お尻をたたくから。」「3つ数えるまでに着替えられなかったら、置いて行くからね。」

④命令

「今すぐ部屋を片付けなさい。」「今すぐ着替えなさい。早くして!」

⑤長々と講義する

「人の手から急に本を取るなんて、お行儀悪いでしょ。あなたは、マナーというものが、どんなに大事だかわかってないのね。もし、他人に丁寧に接してほしかったら、まずあなたがそうするべきでしょ。他人があなたに同じことをしたらどう思う?他人にしてほしくないことは、あなた自身がしないの。」

⑥警告する

「危ない。やけどするよ。」「気をつけて、車にひかれるよ。」「そこに登るんじゃないの。おっこつわよ。」「セーター着なさい。風邪ひくでしょ。」

⑦犠牲者的発言をする

「この白髪見なさい。苦労ばっかりさせられるから真っ白になっちゃったじゃない。」「自分が親になれば、お父さんが、どんなに大変かわかるよ。」「あなたのせいで、病気なりそう。」

⑧比較

「お隣○○ちゃんを見習いなさい。」「リサちゃんは、なんて行儀がいいんでしょう。今までお行儀が悪いところ見たことがない。」

⑨皮肉

「明日テストがあるのわかっているのに、教科書本を学校に忘れてきたの?なんて頭がいいんでしょう。」「学校にそんなの着ていくの?きっとみんなに誉めらるよ。」

⑩予言

「成績のことで嘘をついたでしょ。そういう子は、大きくなったらどうなると思う?誰も信じない人になるんだよ。」「自分勝手でも結構。誰も、あなたみたいな子とは遊んでくれなくなるよ。友達が一人もいなくなっちゃうからね。」

 

それぞれの言葉を、自分が子どもの立場になってみて、もう一度読み返してみてください。どんなふうに感じますか?例えば、「警告」などは、どんな親もよくやることですよね。どこがいけないのでしょう?こどもはどうのように感じるのでしょう。

本によると、子どもの気持ちは。こうです。「本当に怖い、危険だ。」「自分一人で、どうやったら何かできるというのだろう?」「何をやっても、うまく行かない。」

それでは、一体、どんな方法があるのでしょう?ここでは5つの方法が紹介されています。

①見たままの状況を表現する。

×「何度トイレを出るとき、電気を消しなさいと言ったの!」
○「トイレの電気がついてるよ。」

×「お風呂の水を止め忘れてるよ。なんて無責任なんだ。床が洪水になるぞ。」
○「お風呂の水があふれそうだよ。」

②情報を与える

×「もう一度、壁に落書きしたら、お尻ぺんぺんだよ。」
○「壁は落書きする場所じゃないよ。落書きは紙にするもんだよ。」

③一言で言う

×「パジャマに着替えなさいって何回言ったの。テレビを見る前にパジャマに着替えるって約束したでしょ。それなのに、あなたたちは・・・・・・」
○「パジャマ。」

×「また、お弁当忘れて、そのまま学校に行こうとしてる。昨日も忘れて、ママが届けなければならなかったでしょ。もし頭が体にくっついてなかったら、自分の頭も忘れていくところじゃないの?」
○「お弁当!」

④気持ちを伝える

×「また網戸を開けっぱなしにして。頭に来るわね。」
○「網戸を開けっぱなしにされるのは困るの。ハエとかが入ってくるでしょ。」

⑤メモで伝える

例:テレビに「宿題は終わりましたか?」というメモをはる。

もちろん、このように言い方がを変えたからと言って、すぐに結果が出るわけでもないし、親自身、今までの子どもへの接し方のパターンをすぐに変えることは難しいことですが、毎日、ひとつずつ実行していくことによって、必ず良い結果が生まれるということです。

苛酷な事態から真摯に学び、痛みが少しでも早く癒えるように、また、次の世代が同じ苦しみや悲しみを味わわなくて済むようにすることが、学問の務めであり、そして学問を学んだ人間の務めです。
濱田 純一

3月11日に最初の大きな地震が起こってから、早くも1週間が過ぎました。 東京周辺は、計画停電や買い占め騒動など多少のざわつきを見せながらも、少しずつ、人々が平時の生活へと戻ろうとしているところです。

しかしそうした中でも、被災された学生や被災施設が存在し、また、卒業式が縮小、学位記授与式が中止となるなどの予定の変動も生じ、 本学への影響もゼロではありませんでした。卒業式を目前に控えたタイミングでの大学側の決定を残念に思う方もいれば、未曾有の災害に 対して何も出来ないもどかしさを感じている方もいるでしょう。

今はまだ、私たち学生の多くは、こうした社会や大学の動揺に対してほとんど力になることが出来ないのが現実です。

しかしそれは、必ずしも悲観すべきことではないのだと思います。私たちは、短期的な社会の変動から比較的距離を置きながら、 遠くの未来を担うための力を養うことを期待されている存在、未来のために「立ち止まること」を許されている存在なのではないでしょうか。

テレビを通して伝わってくる圧倒的な現実に対し、今はまだ何も出来ない。だからこそ私たちは、 10年20年先の未来を築くための歩みを始めましょう